考察 NAM戦タイガー
タイガー生地、そのプリント手法
タイガー生地
 日本で調達されたタイガーに使用された生地に関しては、当時市場一般に流通していた作業服等に多用されていた綿布が用いられた。代表的な物にカツラギ(左綾織り)、ウェストポイント(右綾織り)がある。ちなみにポプリンと呼ばれる薄手平織り綿布は南ヴェトナム海兵隊が用いたタイガーに多く使用されたが、日本で調達されたと考えられる米軍及びCIDG(注-1)向けタイガーには殆ど使用されなかったようであり、この事は調達に際し使用生地の強度に直接関係するオンス数(重量)に一定の条件が付帯されたことからと考えられる。
 これらタイガーに使用された綿布の当時の日本における産地として上げられるのは、浜松、岡山、広島、泉州(大阪府南部)である。織り機はもちろん力織機(シャトル)であり、生地巾は38インチ(97cm)前後、全て耳付きである。この60年代、最も市場に多く出回っていたこれらの綿布も現在においては織り機の発達、化繊の台頭により殆どが市場から姿を消し、今、当時と全く同じSpec.の物を求めるならば年毎に減少の一途をたどる力織機を保有する工場と契約し完全別注する道しか残されてはいない。

注-1)
CIDG (Civilian Irregular Defense Group program):
映画“地獄の黙示録”に登場する、NAM戦時におけるアメリカ合衆国の不正規戦戦略に基づいて編成された民兵部隊。隊員はベトナム中部山岳地帯に住む少数民族モンタニヤール(モンタニヤード)より募集された。
プリント方式/ローラー捺染(なせん)
 次に後年、世界中に多くのタイガーマニア、コレクターを生み出した豊富なヴァリエーションを有するタイガープリントのプリント方式であるが、一部のスーベニア・タイガーを除きそのほとんどがローラープリント(マシンプリント)という方式でプリントされた。
 その理由としてはローラー方式が60年代において最も一般的な生地プリント手法であった事に加え、他の方式と比べそのプリントスピードの圧倒的な早さから生じるコストメリットがあげられる。
 そして、実にこのローラープリント方式の特性が多くのタイガー・ヴァリエーションを生み出したといえる。ローラープリントというプリント方式は機械を用いてのプリント方式の中では最も古くから存在し、そのためにマシンプリント、又は単にマシンとも呼ばれ、その手法は太く大きな円筒に接して布地が走り、円筒の周りに、布に接して表面に柄の凹刻してあるローラー(直径4〜8インチ)が回転するようになっている。このローラーの凹刻してあるくぼみに着色剤がたまるようになっており、これが連続走行する布に移りプリントされる事になる。ローラーは1色につき1本で、色数だけの本数が必要となる。そこでタイガープリントのヴァリエーションに大きく関係してくるのがローラーの径である。円筒の表面に彫り込まれた模様がその回転と共にエンドレスの模様をプリントしていくわけであるからローラーの直径に円周率をかけた数値がパターンのピッチ(送り巾)であり、使用するローラーの径が違えば同じ模様はプリントできない。通常プリント工場はそれぞれ使い勝手の良い巾、直径のローラーを使用し、違ったタイプのローラーを使用する事は殆ど行わない。ために、違ったプリント工場でプリントするためにはパターンをその工場の使用ローラーにあわせアレンジしなければならない。又、時には使用するローラーの巾にあわせ使用する生地を選択しなければいけない場合もありえた。加え、各工場それぞれに使用する着色剤は当然のごとく違い、60年代において染料、顔料あわせ約7,000種存在した着色剤の中より各工場が独自に選ぶその種類は当然のごとく全て異なり、結果、同工場でプリントされた物であってもロットが違えば色調も違い、他の工場でプリントされればパターン、色調、色落ち、全てが違った。
 従来、コンバットクロージングの発注に際しては何ページにもわたるMil. Spec.表をもとに指示されるのが常である米軍においては極めて異例ともいえるスピード、コスト重視、細部の仕様を業者に委ねたこのタイガー現地調達がヴェトナム戦を通じ小ロット単位で何度にもわたり発注された結果、後年マニアを楽しませる多くのヴァリエーションを生んだのである。
 60年代、日本は繊維織物生産に関して極東はおろか世界においても技術、量、共に抜きんでた存在であり、繊維織物生産と密接な関係にある生地プリント産業も世界最高水準の技術力を保ちつつ主として織物の生産地周辺において順調なる発展を遂げていた。中でもプリント工場が多く存在した地域は京都、和歌山、愛知、浜松等があげられる。当時これらの地域では多くの高度な技術をもった捺染師(なせんし)と呼ばれる職人達が活躍した。日本が世界に誇ったプリント技術を支えた技能集団である。日本で調達されプリントされたタイガーに私を含め世界中の多くの人々が魅せられる、その大きな理由はプリントが美しい事であり、特に未使用に近い状態においての鮮やかに深みのある、ため息の出るような日本製タイガープリントは日本の誇り高き捺染師のみがなしえた職人業である。
 ちなみに南ヴェトナム海兵隊が採用したタイガーの中で、ファースト及びセカンドに関してはそのプリントの鮮やかさから南ヴェトナム政府よりの直接発注もしくは米軍のアレンジのもと日本にてプリントされた物であると推測される。只、それらの南ヴェトナム海兵隊タイガーの縫製自体に関しては1954年12月サイゴン市内に設立された南ヴェトナム軍 Military Clothing Production Center(軍衣料製造センター)において、その全てが行われたと考える方が自然であろう。
 この60年代頂点に達した日本の繊維織物産業も70年代以降は韓国、台湾、及び他のアジア諸国の急激なる追い上げの中、下降線をたどり、付随しプリント産業も衰退を余儀なくされ、現在において60年代用いられたプリント方式を守り続ける工場は極めて少なく、当時の日本製タイガーを完全復刻するという企画も早晩あきらめざるをえないであろう事は MASH一同残念の極みである。