NAM戦時、メコンデルタ地帯哨戒用・ホーバークラフト内で撮影された1枚の写真。縞柄の迷彩シャツ(注)を着たフリーランスのフォトグラファーTIM PAGE(ティム・ペイジ)。
伝説の戦場カメラマンを通じゴールドタイガーを知った瞬間であった。以来、多くの実物タイガーに接し、そのヴァリェーションの豊富さ、想像力をかきたてる調達・支給ルートの未知性、独特の色落感に魅せられ、タイガー復刻を企画してきた、タイガーよもやま話であります。
注)緑が目立つタイガーだがパターンはゴールド。
ヴェトナム戦時、横浜市中区本町4丁目、三菱商事ビルの一角に存在したAPA(US Army Procurement Agency=在日米軍調達本部)が当時“ヴェトナム特需”と呼ばれた日本における米軍の物資調達窓口であった。
本来、米軍に関する調達は米国内、国外を問わずサンフランシスコに本部を置くDSA(Defense Supply Agency)が当時その全てを取り仕切り原則として米国内の業者に応札させ調達するのであるが、例外として米国内で必要量が所定の時期に調達できない時にはじめて海外調達に目を向けられた。事実、1963年8月の12,000人のヴェトナムにおける米軍兵力が64年10月23,000人、65年6月54,000人と急激な拡大の一途をたどりつつあったヴェトナム戦争を遂行しなければいけない当時の状況はDSAをして地の利、コストメリットからも多くの物資の極東においての調達を決定すべき時であった。
ヴェトナム戦遂行に必要な戦略物資の海外調達のDSA決定は、ホノルルにある極東方面担当の西太平洋総指令部を経由し、座間米軍事顧問団に届けられ、その指令のもとAPAが日本における調達を受け持った。同様に韓国においてはKPA(Korean Procurement Agency)がその調達を受け持ち、台湾の業者はCTC(Central Trust Corporation=台湾政府中央信託局)を通じAPAへの入札参加が認められていた。かくして米軍戦略物資極東調達に多くの場合日本、韓国、台湾の業者が、三つ巴の入札合戦を展開した。
実際APAを窓口としヴェトナム戦を通じ米軍に納入された調達リストにはおよそ戦争というものを遂行するに必要なありとあらゆる物が網羅され、その受注製造納品には、日本のほぼ全ての代表的な商社、メーカーが関係し、その下請けの町工場を含めるといわば日本全体が“ヴェトナム特需”に拘わったといえる。只、その調達の多くは軍事機密に属する問題であり、特に日本においてはヴェトナム戦争に関与する事への社会的な批判が日毎に高まりつつある中、実際の製造に携わった町工場の親方、職人等は自身が請けおった品物が米軍に納入されるという意識など全く無しのケースが常であり、実際、私自身がヴェトナム・タイガーに興味を持ち、各業界組合、プリントメーカーへの聞き込み問い合わせ、当時実際にゴールド・タイガーを支給された元MACV-SOG隊員へのインタビュー等を続けた過程において、25年間(調査時期:1992年-2001年)という時の壁、一民間人には立ち入りがたい軍における調達の機密性、に加え、間接受注であるがためプリント工場、縫製工場等の各製造現場の米軍発注に関しての意識のなさは私の調査を長く闇夜のカラス状態に止め置き続けた。
とまれ、それらのAPAを窓口とし調達された膨大な物資リストの中に“ジャングル・プリント”と記された迷彩服があり、これがその調達・支給ルートを追跡すべき主役“タイガー”である。
APAがヴェトナム向けの物資調達をスタートしたと考えられる1960年代初頭から終戦(1975年撤退)に至る迄、計何着のタイガーがAPAを通じ調達されたかは定かでは無い。各種の資料を総合し判断するに、何度かは10,000〜20,000着単位の調達がなされたようだが、大旨は1,000〜5,000着単位の米軍としては小ロット調達が必要に応じ実行されたようである。
只、もちろん極東におけるタイガー調達の全てがAPAを窓口として日本の業者が受注納品したわけでは無く、前述したよう常に韓国、台湾との業者をまじえた競争入札が激しく行われた。
加うるにAPAにおいてプリント生地のみが日本で調達され、沖縄に運ばれ沖縄の縫製工場にて完成されたケースも何度かあったようである。理由としては1971年返還調印迄の沖縄は厳然たるドル経済圏にあり、沖縄の縫製メーカーに依頼する事は当時米国のドル防衛政策に沿う行為であった。これが現在沖縄タイガーと呼ばれるタイプの物の大筋の流れであろう。そしてこの沖縄タイガーに関しては、使用された綿布が沖縄において織られたり、プリントされた事実は現在迄の調査において無く、あくまでも縫製のみが行われたと考えられる。
この事は韓国、台湾の業者が受注した場合においても同様の事態が時に発生した。受注に成功した韓国、台湾の業者から日本の商社がタイガープリント生地の製造納品を請け負い輸出するケースである。
つまる所、当時、極東においては日本のプリント技術が抜きんでたレベルにあった事を意味する。
もちろん、当時の全てのタイガーが日本でプリントされたわけではなく、受注に成功した韓国、台湾においても、それなりのレベルのプリントは行われていた。又、世にヴェトナム・タイガーとよばれるヴァリエーションの中にはここで主として考察しつつある米軍日本調達の物以外にもスーベニア・アイテムとして日本、韓国、台湾、他の東南アジアの国々からヴェトナムへ輸出され基地周辺で販売されたケース、そして、それらを兵隊が個人で購入し実際に作戦で使用したケースが兵隊自身の経験談として紹介されている事はご存じのとおりである。 これら全てのヴァリエーションがヴェトナム・タイガーの範疇に入る事は言うまでもないが、ここでの追跡レポートは米軍/アメリカ政府の財源枠(財布)をもって調達されたタイガー、その中でもAPAを窓口とし日本で調達された物に限定したい。その主なる理由としては少なくとも1968年頃迄に米軍が調達したタイガーは殆どがAPAを窓口として日本において完成品もしくはプリント生地が調達されたと考えられ、その中にはメジャー所のパターンがほぼ含まれると考えられるからである。